愛の行方


鋭く冷たい風が穂香(ほのか)の体中を突き刺していた。
この風はしばらく止まないだろうと思いながら、鞄の中から手袋を引っ張り出す。 手袋を装着すると、今度は首に巻いてあったマフラーをもっと強く巻きつけた。
小刻みに足を動かして体を温めようとしているが一向に温まらない。 むしろ体温が逃げていくだけのような気がする。 前を通り過ぎた女子高校生がヒラヒラと舞うスカートのひだを懸命に押し付けながら歩いていた。 これも虚しい努力に終りそうだ。
「高校生って大変だよね・・・」
ぽつりと零れた独り言。周りにぽつぽついる人たちには、このヒューヒューという風の鋭い 泣き声で消されて聞こえなかったはずだ。そう思いながらも念のために小さく咳をして 誤魔化しておいた。


穂香は私立高校三年生。先月誕生日を迎え、十八歳になったばかり。
推薦で大学をすんなりと合格したので、冬休みは暇を持て余している。 なにかとイベントの多い季節だが、彼氏なんていうもののいない穂香にとっては関係ない。 近くのレンタルショップでDVDを借りて観たり、本を読んだり。やることなんてそれくらい だった。
そんな穂香の生活状況を察してくれたのか、それともただ単に暇だったのか、学校の友達が 映画に誘ってくれた。前から観ようと約束していた邦画のラブロマンス。穂香は その映画に出演している俳優、相嶋亮の密かなファンだった。友達がからかうのが予想できたので 誰にも話していないが。


それにしても遅い。
「あいつ何やってんの」
慌ててまたコホコホと咳き込む真似をする。いつもはそこまで時間に厳しいわけではないが、なにしろ今日は相嶋亮の映画を観る日なのだ。 早くしないと映画の時間に間に合わない。 いや、間に合う。あと三十分以上は上映まで時間がある。でも、早くチケットを買わないと 真中の席に座れない。もちろんどの席で観ても、相嶋亮は格好良い。でもやっぱり真中の席に座って ベストポジションで彼を大スクリーンに映る相嶋亮を見つめたい。
確かに寒さも堪えてはいるが、十八年もこの雪国で暮らしているんだから我慢できる。 でも相嶋亮を見つめるという欲求は我慢できない。いち早く良い席を手に入れたい。


寒さを和らげるために動かしていた足が、今度はいらだちで地団駄を踏む形になりつつあった。 穂香は眉間にシワをよせた。それでも周りを通り過ぎる人々から見れば、その表情も 寒さのせいとして片づけられるだろう。
「穂香ーごめんごめん」
真っ白のコートに身を包んで、天使のような爽やかな笑顔で登場した愛莉(あいり)。軽く色をぬいた 短く茶色い髪がゆるやかなカーブを描きながら風に揺れていた。
「結構待った?どこかに入って待っててくれれば良かったのに」
寒かったでしょ?と愛莉は悪びれる様子もなく首を傾ける。いつもならば少しは小言を 言ってやるのだが、今日はそれどころではなかった。
「それよりも早く映画館行くよ!」
「えー。まだ時間あるしちょっとどこか寄って行こうよ」
ぶつぶつ言っている愛莉を半ば引きずりながら、穂香は足早に映画館に向かった。






「亮君、格好良かったー」
「うん、まあそうだね」
わざと気のない返事をしながら心の中で"亮君"という呼び方にいちゃもんをつける。 相嶋亮は"君"をつけるような年齢ではないのだ。彼は二六歳で穂香と愛莉は十八歳。 たしかに彼は幼い顔立ちをしているから、二十歳前後のように見えなくもないが八歳も年上だ。
「最後の"愛してるんだ"って台詞でキュン!てきたよね」
「はは、そんなに?」
愛莉のオーバーリアクションに苦笑しつつも、ここは大賛成だった。まるで自分に「愛してる」 と言われたような感覚に陥ってしまうようなシーンだった。


「今まであんまり好きじゃなかったけど、ファンになっちゃいそう。でも健悟には劣るけどね」
健悟は愛莉の彼氏で、付き合い始めて半年になる。穂香は愛莉からいつものろけ話を聞かせれていた。 恋愛経験がゼロである穂香にとってはそんな話に共感することもできず、興味を持つことも できなかったために、いつも右から左へと流れていた。愛莉はそれに気づいていたが、それでも 話したくてしょうがないのだろう。のろけ話を止めることは無かった。 むしろ愛莉は穂香を心配していた。
「穂香、うちらも高校を卒業するんだよ。まだ付き合ったことも初恋も無いなんて寂しすぎ! 恋愛しなさい。恋は女をきれいにするんだから」
「そんなこと言われたって、どうしようもないじゃん」
恋はしたい時にできるものではないと思う。運命の人と巡りあって、二人の準備ができた 時に恋に落ちていくんだと思う。ふさわしい"時"があるはず。穂香はそう考えていた。 今はまだその"時"ではないんだと。
「穂香ってロマンチストだよね〜。人それぞれ考え方が違うのはしょうがない。でも、 王子様なんて待ってるだけじゃ来ない時だってあるかもしれないでしょ。 自分から探しに行くくらいのことをしないと素敵な王子様は捕まえられないんじゃない?」
確かに・・・。ダラダラと待っていても運命の王子様は来てくれないかもしれない。 それなりに自分を磨かないと目を止めてくれない可能性もある。王子様と巡りあって 恋に落ちる"時"までどういう行動をするか。それって結構重要なのかもしれない。




家へ向かいながら考えていた。
みんなは恋人をあたり前の気持ちで持っている。でも少し経てばその人とも別れて 次の恋人を探し出す。そんな恋愛を見ていて、なんだか失望してしまっていたのかもしれない。 何度か告白されたこともあったけど、軽い気持ちでは付き合えなかった。周りのみんな と同じことを繰り返すことはしたくなかったから。
穂香の横を一組のカップルが通り過ぎた。あの二人もいつかは別れてしまって違う人と 付き合いだすかもしれない。そんな風に考えていると、決まって悲しみと恐れが交じり合った ような感情が湧きあがる。
それでも、一歩踏み出すのも大切かもしれない。もちろん軽い気持ちで誰かと付き合ってみる なんてことをする気は全く無かった。でも愛莉の言う通りに、もしかしたら自分からやってくる ような王子様ではないかもしれない。だったら自分が探しに行かなくては。
穂香は足元に転がっていた小さな石ころを蹴飛ばした。









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